2022年2月6日日曜日

じんせいのながれ

前書いてから2年経ってた。

2年前のあの頃から世の中は コロナ禍 

というのになって、人々は会合をなるべく避け、

マスクをして過ごすようになっているのだ。

親のあれこれはますますひどくなり、

ひどくなったことにはコロナ禍だというので

積極的に会うとか家を訪問するとかをしなくていい

といいことにほっとしたわたしの在り方も

関係している、とはおもう。


思うのだが、わたしの想像していたよりずっと

母のわたしへの執着は強く、

いよいよオットが悪者である世界を構築してしまう

というところまできてしまい、それがおそらく

認知症とあいまっていることが考えられる

そんな状態になってしまった。

父も母の言うことを完全に信じて、

わたしをひどい娘と言い、オットをひどい婿と言い、

こんなところにいてもつらいから故郷に引っ越す

と言っているのだった。

高齢ゆえ、なかなか家は決まらないようだが、

もうわたしはそこに声をかける気力も残っていない。


けれど、もういよいよわたしは

わたしの抱える親へのあれこれを作業しないとだな

ということになって、17年ぶり?に

別の分析家のもとに教育分析に通うようになった。


そしてずっとずっと覚えていた幼い頃の夢を話し、

ずっと傷ついてきた何かを話し、

幼い頃からわたしが事態に入り込まずに俯瞰して見る

という能力を発展させてきたことに気づいた。

まだ抽象的に物事を考えられないような

幼稚園児だった頃から。「空飛ぶ車」に

わたしは乗っていた。


先生は その車はあなたを守ってくれたもので、

だから降りたりしなくていいと思うし、

降りたら大変だし、なにより車というのは

動かすことができますからね、と言った。

その車に乗って、わたしは親やまわりのようすや、

いろんなひとの心の動きや、闇や、そんなものを

俯瞰するように見て、そうして

自分の身を守ってきたのだ。


でも。

でもわたしはじぶんが地べたに降りたり、

ものごとに巻き込まれたり、ということを

ほとんど経験していないのではないか

経験しているように見えて。


ここでもよく なんでも経験し尽くしてやる とか

言ってて、実際そうしてきたつもりだったけれど

わたしはずっと この車に乗って

そこからまわりを眺めてきたのではないのか。


わたしが頭でっかちなのも致し方ないし、

それにはほんとうに長い歴史があったのだ。


でも、わたしにいま必要なのは

じぶんの闇や、とんでもないものや…

それらをわたしのものとして見るような

そんなことなのかもしれないし、

それはやらないわけにいかなくて分析に行こう

ということになったのかもしれない。


ともかく、味方になってくれるオットや友だちもいて、

わたしにはこの日々の生活がある。


それがちからになってくれるとおもう。


両親にはお世話になって生きてきたけれど

でも やっぱりあなたたちの人生は

わたしが負うものではないと思う。


人生の最期みたいなときにこんなことになって

ほんとうにかわいそうだとおもう。けど、

わたしはわたしの人生を生きたい。


そしてもしかすると、いま いわゆる優しくする

みたいなことが絶対にできない と思う

こんなことになってるのは

実はわたしがずっと 空飛ぶ車 に乗って

おのれのナマをコントロールできずにいるから

なのかもしれない。


そんな、じんせいの、ながれ。

生きて死ぬぞ。








 

2020年1月30日木曜日

まだ盗まれる

アルバムを盗まれたんですって。
物色されたあとはないのに。
その直前くらいに、廊下に管理人がいたんですって。
鍵をかけずに郵便を取りに行ったら、
帰りにはへんな開き方をしてたんですって。
大丈夫だと思って鍵を閉めたのに、
夕方には鍵が全部あいてたんですって。

本当かよ。

ていうか、もうね、盗む必要のないものを盗まれてる
っていうのがどうにも。このたびは
やっぱり 盗まれる というこの事態は
両親の ていうか 母の 何かだと
確信を持つ感じになってきたのではある。

警察のひとも困ってたけど
でも ちゃんと言っておくほうがいいよ
と思って警察に言うように伝えたのだ。

母によれば 父がたまに
ちょっと解離?認知症の一環?
みたいな症状があるみたいだし、
そのあたりとか もしくは
母自身 気づかないうちにどこかにしまい込んだり
といかいうこともあるんじゃないのかな
と思ったりするんだった。

とりあえず 盗まれる という
そういうアレがまだ続くっていうのは
盗まれることで守らねばならぬものが
まだ続いているってことなんだろう。

きっと父との関係だったり
悪を外在化するアレだと今は思う。

病院に連れて行く、っていう話でもないし
もうそういう ぼちぼちとしたものを
盗まれながら生きていくしかないんだろう
くらいに思ってしまった。


警察のひとが優しくて、
とりあえずなんかそういうことがあったんだな
ということで受け止めてくれたのだと思うので
まぁそれでいいや。

わたしが借りてる部屋だからとかいって
判断をわたしに委ねてきた母だが
でもやはりこのあたりは
気にかけつつも母と父にやってもらおう。
やっぱりそうしよう。

あぁなんにしろひとの生き方だとか
心構えだとか在り方だとかが関係してくるから
物理的なものだけ関わる とか
むずかしい。

父とのことは聞きません って言ったのも
わたしの子どもの頃の写真が盗まれたのに
関係している気もするしね。
すべてを味方してくれるわたしがいなくなったんだなぁ。


ということでね。わたしもなんとか生きる。
ちょっと昼からふさぎこんだが、生きる。

2020年1月21日火曜日

こどもじみた傷つきを垂れ流す

 かつてとてつもない未来だと思っていた2020年。
1980年になったとき、新しい時代が来てしまった!と
思ったことを鮮明に覚えているのだ。
小学校1年生だったんだなあの頃。
あのとき家にあったカレンダーの1月が、干支のさるが
はちまきしてランニングに短パン姿で聖火を持ってる
ていう絵だったんだよ。新しい時代!と思った
80ていう響きと、さるのランニング姿のギャップ。
40年前のおれに強烈な印象を残したものである。

 という2020年だが、その40年以上越しの夫婦の何かを
いまものすごい勢いでどうにかしようとしている
うちの両親である。特に母。

父も母も向き合えない感じのひとなんだな
とは思ってきたので、まぁいつになろうと
頑張っていただければいいんだけれど、
わたしを巻き込まないでほしい。 というのは
ずっと言ってきたし、聞きませんよ、
って何度も宣言しているのに垂れ流す母。

つらかったんだと思いますよ。そりゃ。
病気になるわ夫は浮気するわ誰にも話せないわ。
この場合の「わ」は「は」なのか?
ていうのはいいけどともかくですよ。

で。あのね。むかしからうすうす気づいてたんだけど、
わたしの名前、愛人の名前と一緒なのね。
漢字は違うけど。ひどくない?

おそらくおのれを守るためにわたしはずっとそこには
気づかぬふりをしてきたし、無視してきたけど、
もしかしたら、すでに父はそのとき
その愛人となるひとと知り合っていたかもしれず、
わかっていてつけたのかもしれないのである。
いちいち確かめませんけど。でももしかしたら
この先母が垂れ流してくるかもしれないけど。

こんな屈辱ある? って思うけど、まぁ
どんな名付けであっても
それなりの意味を込めてつけてくれたわけで
わたしはわたしなのでね。汚い!とかではないんだけど。
でも、ちょっとかわいそうだわぁとは思う。

もし、愛人の登場はもう少し後だとしても
そこから先の 母のわたしへの思いは
ものすごいアンビバレントだっただろうな
というのは想像にかたくなく、
全部を言ったわけではないにしろ、
10歳あちこちくらいの小さかったわたしに
ぼろぼろと父のことをこぼしつづけ、
わたしに愛人が出るとわかっている場所に
電話をかけさせたり、などしてきたのは
わたしの名前が愛人と同じだったからじゃねえの?
という気持ちにすらならなくもないのだった。

てのは前段階で。
あのふたりの間に起きたことのからくり的なことを
わたしは分析するしかないんだよね。

大人になってからは、母が天真爛漫で裏や闇をまったく表に出さない
というのが父としてはしんどすぎて、外に女をつくるしかなかった
みたいな図だけを考えていたんだけど、
父のダメさ、みたいなのもあるわな、と。
父も、気持ちのやりとりとか、そういうのがすごく苦手だ。
母とやりとりがちゃんとできてない。母に求めるものを
ゆっくり伝え合うみたいなことは一切できなかったんじゃないか。
母も、自分の中に悪を持つことができない。だから外在化する。

父は女性の娼婦性みたいなものとか、その手のものを
愛人にぜんぶ投げて外在化し、あの愛人と母は
申し訳ないがふたりでひとりみたいなことになってたと思う。
だから今でも続いているんだろう。あの愛人がいなかったら
父はもっと早くとっくにどーかなっていたかも。
だから、母とそのへんが話せるようになってきて
父はどーかなるかもしれない。でもそれも父の人生だ。

母はいまだに悪を外在化し続けている。
盗まれる という事象もそのひとつだと思う。
母はずっと何かを盗まれ続けるということで
自分の 善 や 天使性 みたいなものを
守ってきていることにもなる。
父が言葉の暴力をふるった、愛人のいうことばかりを信じた、
自分が病気になったから父が女に走った、
ていうのしかないんだよね。おのれを振り返り
自分がどうしたかった、どうしたい、というのが
なんかもう全然ない。

母が悪くてお父さんのことを悪くいうけどごめんね、
でもお父さんに優しくしてねおねがい、
とかいうものすごい矛盾したメールを送ってくるんだけど
あのひとちっとも自分が悪いと思ってないんだ。
まわりがひどいのに耐えられない私かわいそうでもごめんなさい
っていう間違った反省をおこない、それでもわたしに
お父さんに優しくして って命令して
じぶんを正しいところに置くのよなー。

父の所業つーかバカでひどい行動のあれこれを知ったら
きっと自分の味方をしてくれる って思ってるんだろうな。
もうそういうの超えてるんですけど、っておもう。

父で母だ っていうそれ以上でも以下でもない。

きっと母の望みは、「お父さんがひどいね、あんなのないよね、
お母さんたいへんだったね、お父さんのことはいやだけど
かわいそうだから優しくするね」っていうふうに娘のわたしに
言ってもらえることなんだとおもう。

父がわたしに優しくされているのを見て、
「でもほんとはあの子、あなたの悪事を知ってて
あなたを許してはいないんだから」って
優越感を無意識に持ったり、
わたしが少しでも父に厳しくしたら
「ごめんなさいね、お母さんがダメだから」って
悲劇のヒロインぽくないたりすることなんだと思う。
そうして父に対して壮大な仕返しをしたいんだと思う。

申し訳ないが、そう思う。

けど、わたしはその計画には乗れないのだ。

あなたの気持ちの整理はお願いだから専門家の力を借りて
やってくれ、と思う。

あのひとたちはどこまでも夫婦だと思う。
やっぱり何かの課題があるから一緒にいるんだな。

で、それはわたしが背負うべきことではない、とおもう。
わたしはもう 子がおらない という運命を背負ったから
もういいでしょう、っておもう。わたしのことをちゃんとやって
世の子を育てる世代の何かの役に立つような何かになることが
わたしの人生だ。

さようなら お母さん お父さん。
物理的には手伝うけど、精神的な課題は
きっちりふたりでやりきってほしい。
そういう意味での さようなら である。

垂れ流せてちょっとすっきり。
わたしだって傷つくのだ。なんで同じ名前にしたんだ
あるいはどうして同じ名前なんだ。
そして、あなたたちの人生の課題は、あなたたち自身でやれ。

こうしてさようならってやったことで、
仮に 母が絶望したとかいって自殺 とか
父がおのれのしてきたことを受け入れきれずに認知症に
とかなったときにわたしは後悔するだろうか。
どんな気持ちになるのかはそのときにならないとわからない。
でもきっと、やっぱり、さようならってやるほうがいいよって
今のわたしに言うだろう、とおもう。